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ユース非核特使 枝広福山市長を表敬訪問

4月19日(金)、4月29日よりニューヨークで開催されるNPT(核拡散防止条約)再検討会議第3回準備委員会の開催にあわせて派遣される3名、6A上原萌さん、5E石田祥子さん、4A酒見知花さんが、枝広 直幹福山市長を表敬訪問しました。3名は先日、広島市にて外務省より「ユース非核特使」の委嘱も受けました。本校のOBで福山市議会議員の榊原則男様、平松正人様も同席してくださいました。
3人は、No one should ever have to suffer as we have. 「もう誰にも自分と同じ思いをさせてはならない」という被爆者の復讐や敵対を超えた素朴で崇高な平和への思想を後世に伝えることが私たちの使命だと考えて、心をこめて活動してくることを力強く語りました。枝広市長からは、福山も非核宣言都市として平和行政に力を入れている。日々の生活の中で、風化していくものもあるが、平和な世の中を構築していくには継続した活動をしていくことが何よりも大切なことだ。平和を真剣に希求する心を大切にその輪を広げて行ってほしい。非常に意義深い役割をしっかりと果たし、大きな成長につなげてほしい。と激励をいただきました。また3人に激励金を授与していただきました。枝広市長をはじめ、全ての関係の方々に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
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5月1日、NGOセッションの後、ナガサキ・ユース代表団のサイドイベントに参加しました。長崎大学の学生がプレゼンテーションを行い、その後意見交換を行いました。 年齢も国籍も関係なく、その場にいる人全員で、平和とは何か、無関心な人に関心を持ってもらうにはどうしたら良いか、どうやったら核兵器を廃絶することができるかを考えました。 このように1つのゴールに向かって、共に考え共に歩み寄るこの光景こそが協働だと感じました。 今日は本当に多くの核廃絶への思いや考えを聞くことができ、自分たちの視野も広がりました。そして、より深くより新しい核廃絶への方法を考えていきたいと強く感じました。 明日はユースフォーラムがあります。今まで練習してきた全てを出し尽くし、核廃絶への想いを世界に伝えてきます! >

解団式

    5月5日、無事広島空港に着き、解団式を行いました。  私たちは、多くの方のご支援があったからこそ、今回の派遣でたくさんの学びを吸収することができました。本当にありがとうございます。      この一週間、私たちはニューヨークで本当に多くのことを学びました。そしてそれは、私たちの考え方の幅を大きく広げるものとなりました。ナガサキ・ユースでのサイドイベントでの、「今を生きる私たちも被爆者」という言葉。高見澤大使が仰った、日本が核兵器禁止条約に署名しない理由。中満さんの「若い世代のあなた達には世界を平和にするパワーがある」という言葉。      色んな国籍の方に会い、色んな年齢の方に会い、色んな意見に出会いました。しかし、皆さんが共通して言っていたのは、「核兵器のない平和な世界をつくる」、「過ちを繰り返してはならない」、「あの日を繰り返してはならない」、「被爆者をもうつくってはならない」、「人類は平和のために協働しなければならない」、そういった平和への願いでした。        「私たちに何が出来るだろう」  今回の派遣で、私たちのパワーは微々たるものであるかもしれないけれど、決して無力ではないことを学びました。帰国後の課題は、この学びをどう活かすか、どう体現するかということです。だから、私たちはこれからも積極的に学び続け、考え続けていきます。そして、行動し続けます。世界が平和になるために。そして、「もう誰にも同じ思いをさせてはならない」という被爆者の声を世界に届けるために。

ユースフォーラム

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